About School
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永野たけは明治維新間もないころ、永野藤作の長女として1871年4月17日、現在の長生郡長南町に生まれた。この時代、裁縫を学ぶ女性が多い中、たけは裁縫教師としての世に出ようと決意。京橋区築地の西宮圧之助の門をたたき、そこで3年あまり裁縫を学んだ。
1890年には一宮の玉前神社主典、榊原弥三郎につき、国語を学んだ。1896年躍進する明日の日本を担う女性を養成することを考えたたけは、都下に令高い渡辺辰五郎之いる神田一ツ橋通りの共立女子職業学校(現・共立女子大学)へ入学。そこで1年あまり裁縫・習字・家政・読書・算術を学んだ。
渡辺辰五郎は裁縫界の第一人者であり、東京本郷に和洋裁縫伝習所を開設し、やがて東京裁縫女学校(現・東京家政大学)と改称し、たけも入学。卒業するまでに藤田さくにつき、家事・家政・教育学・家庭簿記を修業、この東京での3年間は驚くほどの意志力とたくましさを感じさせ、あらゆる知識と技能を習得し後の学校設立の礎となった。
明治32年8月、私立学校令が発令されると共に、たけ先生のたぎるような女子教育の情熱は「私立長生裁縫女学校」設立へ意志をかためた。そのときの生徒募集の主意には次のように記されてある。「一家における主婦の務めは一国における宰相の務めに異なることなし。裁縫と共に家政、算術、作文、習字を教授し兼て女礼式、押花、茶の湯の法を授け専ら温良柔和なる良妻賢母を養成する任に当たらんとす。」これからの時代は女子にも教育が必要であるという切実な思いから、明治33年11月、「私立長生裁縫女学校」が開校された。
裁縫の実技指導を通して、裁縫のプロとしての実力と将来母親として必要な教育と情操豊かな育成を教育理念とした。
「厳しい中にも温情のある指導を」
やればできる実技指導を通して、生徒との心の触れあいを大切にした。そして、さまざまな体験から心豊かな教育を通し、礼儀を重んじ、生徒一人一人の個性を大切にし、温情のある指導を行っていった。
時代の流れと共に、今では「生徒一人ひとりの個性・能力を発見し伸ばす」を建学の精神として取り組んでいます。個性を伸ばすとは生徒が「自信」を持ち、「自主性を身に付け、行動する」ことと考えます。
本校では、SDGsを軸に考えた「北陵プログラム」を行い体験学習を取り入れています。
1871年(明治4年)〜1950年(昭和25年)
千葉県長南町に永野藤作家の長女として生まれる。
東京裁縫女学校(現 東京家政大学)を卒業後、東京で裁縫塾を開く。
その後、郷土である長南町に「長生裁縫女学校」を設立。
多くの生徒に裁縫に関する指導を行なった。